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感性の限界
人間の愛は「不合理」なもの? 自由だと勝手に信じている人間が実際には「不自由」? なぜ人間は生まれて死ななければならないという「不条理」に遭遇しているのか? そもそも、人間とは何か……? 「行為」「意志」「存在」の限界をテーマに、行動経済学者や認知科学者、進化論者、実存主義者など多様な分野の学者にカント主義者や急進的フェミニスト、会社員、運動選手、大学生も加わり、楽しく深く広い議論を繰り広げる。(著者:高橋 昌一郎)
本書は前回ご紹介した図書『理性の限界』の姉妹編『感性の限界』にあたるが、こちらも同じく人間の感性では越えられないテーマ(愛・自由・死など)を掘り下げ、感性に限界があるか否かをディスカッション形式で討議している。各章毎に非常に闊達な議論が繰り広げられ非常に濃い内容となっているが、ここでは一つ、意志の限界で取り上げられている「ミルグラムの実験」について紹介してみたい。
社会心理学者
ミルグラムが疑問に思ったのは、そもそもなぜホロコーストのような異常事態が生じたのかという事でした。なぜアイヒマンは、何百万人ものユダヤ人を平気で強制収容所へ送ることができたのか?(中略)それを確かめるためにミルグラムが綿密に組み立てたのが、ごく普通に生活しているアメリカ人を無作為に抽出して、彼らが徐々に不愉快で残酷な行為を取らざるを得ないように権威者が命令する状況に負いて、何が怒るのかを検証する「服従実験」だったのです。
1963年、ミルグラムは新聞で「記憶と学習のための実験」の参加者を時給4ドルで公募し、会社員・販売員・職人・郵便局員・工員など、20歳から50歳までの一般男性40人の被験者を集めました。定められた日時に被験者が一人でミルグラムの研究室に来ると、先に来ていたもう一人の被験者とくじ引きで「教師役」と「生徒役」を決めます。ただし、先に来ていた丸顔で40歳代の会計士と名乗る被験者は、実はミルグラムの助手で、こちらは必ず「生徒役」になり、被験者は必ず「教師役」になるように、くじに細工がしてありました。
次に、白衣の教授が二人に「記憶と学習のための実験」について嘘の説明をします。この実験の目的は、学習に罰が与える影響の調査にあり、まず生徒はペアになった二つの単語のリストを暗記して、教師が一つの単語を言うと生徒はペアの単語を答えること、もし生徒が間違ったら、教師はスイッチを押して生徒に電気ショックを与えて罰すること、しかも間違えるたびに電気ショックは強くなっていくこと・・・。
運動選手
その電気ショックとは、どのくらい刺激のあるものなんですか?
社会心理学者
それを知覚してもらうために、教授は「試しに電極をつけてみてください」と言って、被験者の腕に電極を付けて、45ボルトの電気ショックを与えます。これは、日常生活で静電気がびりっと来る程度のショックなのですが、それでも十分、不愉快な感覚である事はお分かりになるでしょう。(中略)
操作パネルのスイッチの下には、「スイッチ1(15ボルト)わずかなショック」「スイッチ5(75ボルト)中程度ショック」「スイッチ9(ボルト)強いショック」「スイッチ13(195ボルト)非常に強いショック」「スイッチ17(255ボルト)激しいショック」「スイッチ21(315)非常に激しいショック」「スイッチ25(375ボルト)危険・強烈なショック」「スイッチ29(435ボルト)XXX」(中略)
被験者が実験を継続すべきか否かを尋ねてきた際、教授は「①続けて下さい②実験のためには続けなければなりません③続ける事は非常に重要です④他の選択肢はありません。この実験は続けるしかないのです」の順番で、静かに命令することになっていました。しかし、どの時点であっても、被験者が「自由意思」で断りさえすれば、彼らは実験を中止することができました。
一方、生徒役の部屋からは、個別の実験によってバラツキが出ないように、俳優が吹き込んだ音声をテープで流すようになっていました。これは、低ボルトのショックでは小さい呻き声ですが、120ボルトでは「かなり痛いんですが」と大声になります。(中略)330ボルトでは「ここから出せ!出してくれ!心臓が変だ。頼むから出してくれ。・・・ここに閉じ込める権利はないはずだ!出してくれ!」とヒステリックに悲鳴をあげて、345ボルト以上では不気味な無音のまま、無反応になります。(中略)
社会心理学者
ミルグラム自身、少なくとも最後の450ボルトのスイッチまで押す被験者は一人もいないだろうと予想していました。彼の同僚の精神科医も、最後のスイッチまで押すようなサディストは千人に一人程度しか存在しないはずだと断言していました。
ところが、実験の結果は、彼らの予想を大きく覆すものでした!なんと40人の被験者中、40人全員が300ボルトまでスイッチを押し続け、さらに26人の被験者が最後の450ボルトまでスイッチを押し続けたのです!しかも、この中には、生徒役に電気ショックを与えることを楽しんでいたような被験者は一人もいませんでした。彼らは、苦しそうな表情で汗だくになって震えながらも、被験者の懇願や拒絶の声を無視して、命令に従順に服従し続けたのです。
ミルグラムの論文には、次のような一節があります。
「落ち着き払った年配のビジネスマンが、微笑みながら自信ありげに実験室に入ってくるのが見えた。しかし、それから20分もしないうちに、彼は痙攣してどもり始め、まるで精神の崩壊した廃人のようになっていった。・・・実験が進んだ時点で、彼は自分の額に拳を押し付けて『なんてことだ!もう止めなければ』と呟いた。しかし、それでも彼は、続けるようにという命令に従い、最後までスイッチを押し続けたのである」
その後もミルグラムは、女性や知的職業従事者などを対象に同じ実験を続けましたが、性別や職業によって結果に大きな変化は見られませんでした。(続く・・・)
この他にも、行為の限界ではアンカリング効果(最初の印象に大きく左右されやすい心理効果)によって、陪審員がマクドナルド側に286万ドルの請求を下した「マクドナルド訴訟」、存在の限界では死んで後でもその人の存在が人から人へと伝わっていく情報遺伝(ミーム)の話など、まさに好奇心をくすぐられるテーマばかりである。感性について興味のある方は、是非一読してみてはどうだろうか?