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動的平衡

哲学する分子生物学者が問う「命の不思議」。生物を構成する分子は日々入れ替わっている。私たちは「私たちが食べたもの」にすぎない。すべての生物は分子の「流れ」の中の「淀み」なのである。しかし、その肉体、タンパク質の集合体に、なぜ「いのち」が宿るのか。遺伝子工学、最先端医学は生物を機械のように捉えていないか。生命の「背景」にある「時間」を忘れていないか。いったい、生命とは何なのか。哲学する分子生物学者が永遠の命題に挑む!(著者:福岡伸一)

    『動的平衡』は、「生命とは何か?」という問いに深く切り込んだ福岡さんのベストセラー著書『生物と無生物の間』をもっとコンパクトに仕上げた図書、というのが個人的な感想だが、そのテーマは、ヒトと病原体の戦い・その食品を食べますか?・ダイエットの科学など幅が広い。

    例えば、ヒトと病原体の戦いというテーマの中では、「カニバリズムを忌避する理由」について説明されているが、これについて著者は、カニバリズムという行為がもたらす生理的嫌悪感の由来に、生物的根拠を求めるとすれば、そこに病原体に感染する多大なリスクがあるからとしている。

    病原体にはまず、感染しうる相手が必要だが、その宿主に侵入する時には精子と卵子の結合のように鍵と鍵穴が一致しなければならない。ここでいう病原体とは、長い時間をかけて宿主の鍵穴に適合する鍵を持つに至った連中のことであり、合鍵を持った病原体は、宿主の細胞に取り付いて、こっそり細胞の内部に入るための扉を開く。しかし普通、ある種の生物に感染できる病原体は「種の壁」によりその鍵と鍵穴が一致することはない。
    この観点から、カニバリズム(人肉食)がほとんどの民族でタブーとされる理由を探ってみると、人を食べるということは、食べられるヒトの体内にいた病原体をそっくり自分の体内に移動させるという種の壁を無視した行為となる。故に、ヒトはヒトを食べてはならないー。
    実際に、1950年から60年代の間にかけ、ニューギニア島南部高地に住むフォレ族の間で、クールー病という風土病が広がっていたのだが、後にノーベル生理学・医学賞に輝いたダニエル・カールトン・ガイジュセックが調査をすると、この病気がフォレ族に伝わる儀式によって伝染しているのではないかと考えた。その儀式とは、死者の脳を食べる儀式であり、ガイジュセックは、クール病の病原体を特定することは出来なかったが、このカニバリズムの習慣を止めさせた。すると、クールー病は一世代のうちにほどんどなくなったのである。
※後の研究で、クールー病の病原体はプリオンと呼ばれる悪性のタンパク質であるとの説が出され、現在では定説となっている。

    著書の中では、その他の小テーマとして、記憶とは何か・コラーゲン添加食品の空虚・バイオテクノロジー企業の強欲などを取り上げているが、どのテーマも非常に面白く、最後は本書のテーマにあたる『動的平衡とは何か?』で締めている。

    生命とは何か…?その本質に少しでも迫ってみたい方に是非読んでもらいたい本です。(高校生の頃に読んでおきたかった…。)