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夜と霧

ユダヤ人精神分析学者がみずからのナチス強制収容所体験をつづった本書は、わが国でも1956年の初版以来、すでに古典として読みつがれている。著者は悪名高いアウシュビッツとその支所に収容されるが、想像も及ばぬ苛酷な環境を生き抜き、ついに解放される。家族は収容所で命を落とし、たった1人残されての生還だったという。収容所の体験記も、大戦後には数多く発表されている。その中にあって、なぜ本書が半世紀以上を経て、なお生命を保っているのだろうか。今回はじめて手にした読者は、深い詠嘆とともにその理由を感得するはずである。
(著者:ヴィクトール・E・フランクル 翻訳:池田 香代子)

 「言語を絶する感動」と評され、世界的ベストセラーとして600万部を売り上げている本書は、アウシュビッツに収容された著者が自身の専門分野である心理学的視点から強制収容所の生々しい体験を物語る。その構成は、施設に収容される段階・収容所生活そのものの段階・収容所からの出所ないし解放の3段階に分け、被収容者の心理状況を分析している。

 これらの心理分析の中でも、特に印象深かった話が2つある。

 1つは、収容所生活で未来を信じる事が出来なくなったものは、精神的な拠り所を見失い、そして破綻していくという分析である。
 収容所では、1944年のクリスマスと1945年の新年の間の週にかつてないほどの大量の死者を出したとされている。これは、過酷さを増した労働条件・悪化した食料条件・季節の変化・あるいは広まった伝染病の疾患からも説明がつかない為、多くの被収容者がクリスマスには家に帰れる、というありきたりの素朴な希望にすがっていたことが原因だろう、というものだ。

 その為、強制収容所の人間を精神的に奮い立たせるには、まず未来に目的を持たせなければならなかったとしているが、この本の著者であるフランクル氏は、自身に以下のようなトリックをかけ精神的な回復を図る工夫をしていたとしている。

”今、私は暖房のきいた豪華な大ホールの舞台に立っていて、目の前には座り心地のいいシートにおさまって、熱心に耳を傾ける聴衆がいる。そして、私は強制収容所の心理学を彼らに語っている姿を想像する。こうする事により、私はこれほど苦しめうちひしいでいるすべては客観化され、学問という一段高い所から観察され、描写される・・・このトリックのおかげで、私はこの状況に、現在とその苦しみにどこか超然としていられ、それらをまるでもう過去のもののように見なすことができ、私を私の苦しみ共々、私自身が行う興味深い心理学研究の対象とする事が出来るのだ。”

 このように、なんとか未来に、未来の目的に再び目を向けさせる事で、精神的な安定を保つ事が強制収容所では有効な手立てとして必要だったのである。

ニーチェ:なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐えうる

 2つ目は、収容所解放における被収容者たちの反応である。
 アウシュビッツから解放されるとなれば、その瞬間から被収容者が歓喜の渦に包み込まれる姿を想像されるのが一般的であろう。しかし、実際にはそうはならず、彼らはすぐに自由人として現実を認識する事ができなかったのである。心理学の立場から言えば、これは強度の離人症というものであり、すべては非現実的であり不確かで、ただの夢のように感じられる事からくるものだそうだ。

 ある日うちに帰り、友人たちに帰ってきたよ、と言い、妻を抱く。そんな自由で当たり前のような生活を何度も夢で先取りし、気づくと「起床」を告げる号笛が三度耳をつんざき、自由を無数回味わせてくれた夢から無理やり引き離す。こうした現実が幾度となく繰り返されれば、収容所から解放されたと言われても、到底その現実を認識できずに歓喜する事が出来ないのも頷ける。

 さらに、強制収容所という精神的に抑圧された環境の場における急な解放によって、人格を損ない、傷つけ、そして歪めるような心に変貌した者についての考察も非常に興味深い。著者は、実体験としてこんな出来事を綴っている。

”仲間と私は、ついこの間解放された収容所に向けて、田舎道を歩いていた。私たちの前に、芽を出したばかりの麦畑が広がった。私は思わず畑を避けた。ところが、仲間は私の腕を掴むと、一緒に畑を突っ切って行ったのだ。私は口ごもりながら、若芽を踏むのはよくないのでは、というようなことを言った。すると、仲間はかっとなった。その目には怒りが燃えていた。仲間は私を怒鳴りつけた。
「なんだって?俺たちが被った損害はどうってことないのか?俺は女房と子供をガス室で殺されたんだぞ。そのほかのことには目をつぶってもだ。なのに、ほんのちょっと麦を踏むのをいけないんだなんて…」”

 不正を働く権利のある者などいていい筈がない。それは、たとえ不正を働かれた者であってもだ。しかし、精神的な圧迫にさらされた結果、彼らは精神の健康を損ねてしまったのである。誤解のないように言っておくと、こうした人たちは、決してたちの悪い人間ではなく、収容所でも、またその後も、一番いい仲間であったのだ。

以前から読んでみたいとは思ってはいたものの、何かと先送りにしてしまい今更ながらとなってしまったが、その中身は想像をはるかに超えるものであった。戦争とは何か、人間とは何か…を改めて問い直される一冊であ理、是非一度は手にとって読んでほしいと思う作品であった。