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「死」とは何か
イェール大学で23年連続の人気講義が、ついに日本上陸!――人は必ず死ぬ。だからこそ、どう生きるべきか――なぜ、余命宣告をされた学生は、最後に“命をかけて”、この講義を受けたのか!?死を通すことでますます「生」が輝きを増す、世界的名著!(著者:シェリー・ケーガン, 翻訳:柴田裕之)
死とは何か…その内容はまさに期待に違わず「ザ・死とは何か?」である。さて、それは置いとき、各テーマでは、不死は幸せか・死ぬならいつがよいか・死はどうして悪いのか、など私たちが普段(おそらく)ぼんやりと考えている「死」に対しての疑問を明快かつ論理的に述べている。
中でも印象的だった箇所が2つある。
一つは、「人生の意義」について述べた箇所であり、これは、仮にあなたが明日死ぬ運命と決まった場合、どのような条件なら死んでもいいかという問いかけであるが、これについて筆者は以下のように述べている。
私にとって大切なのは、私が存在し続けることだけでも、ゆっくりと変化するこの人格の行き着く所に誰かが存在していることだけでもない。そう、私は、自分が今持っているのと同じ人格を持った人に、将来も存在していてもらいたいのだ。今の私の目標や記憶などと似たものを持った人に。ただ生き続けるだけでは、生き続けるにあたって肝心なものが私に与えられることは自動的に保障されない。
私という存在が死滅するとわかった以上、何かを残したいというのは(おそらく)人としての本望だろう。しかし、私という人間は誰にも代替の効かない存在である。それなら、自分が今持っているのと同じ人格を持った人に将来も存在してもらうと仮定するならば、生きることへの自動保証となる。この考察は、仮に自分が死んだ場合でも、私がまだ生きているという意志を継いで存在証明し続ける方法を考える上で、何とも画期的であるように思う。
もう一つは、死の必然性を巡る解釈である。
人は生まれて「生」を授かった以上、いずれは「死」という究極の命題に立ち向かわなければならない。そして、もし生への執着が強いようであれば、死を避けようとするのは道理であり、そこに死への恐怖や葛藤が生じることになろう。これについて著者が、オランダの哲学者・スピノザの解釈を引用して以下のように述べている。
哲学者のスピノザは、人生で起こることは全て必然的であるという事実に気づくことができさえすれば、私たちはその事実から一種の感情的距離を置けると考えた。もう熱り立たずに済むのだ。私たちはもう、物事に落胆しない。ある出来事に落胆する為には、別の展開になり得たことが前提になっているからだ。そして他の展開はあり得ないといったん気づけば、それについて悲しむことはできないとスピノザは考えた。それならば、死は避けられないと気づいてその事実をしっかり頭に根付かせれば、死はそれほど悪くなくなるかもしれない。
死について考えて意味あるの?、という意見をお待ちの方がいるかもしれないが、私自身の見解として、死を考える事は生き方を見つめ直す旅のようなものだと思っている。本書は紙面の都合により前半の形而上学編が割愛されているが、それでも大変面白い。「死」というパワーワードを通して、人生の本質を考え直したい方におすすめしたい本です。
→7月12日(金)に完全翻訳版が発売されるそうです。