NOVEL
ドグラ・マグラ
精神医学の未開の領域に挑んで、久作一流のドグマをほしいままに駆使しながら、遺伝と夢中遊行病、唯物化学と精神科学の対峙、ライバル学者の闘争、千年前の伝承など、あまりにもりだくさんの趣向で、かえって読者を五里霧中に導いてしまう。それがこの大作の奇妙な魅力であって、千人が読めば千人ほどの感興が湧くにちがいない。探偵小説の枠を無視した空前絶後の奇想小説。(著者:夢野 久作 )
ドグラ・マグラは、日本3大奇書(『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』『虚無への供物』)の一つに数えられ、「読めば精神に異常を来たす」と言われる作品である。確かに読んでみると、その内容は奇書と呼ばれるほど不可解かつ凄みがあり、「読めば精神に異常を来たす」という理由についても納得がいく。
そうした事例として、作中の中で取り上げられている文章の一部を抜粋してみたいと思う。これは、ドグラ・マグラの登場人物である正木先生が残したとされる小冊子(キチガイ地獄外道祭文 )の冒頭文書で、現代社会に於ける精神病者虐待の実情と、監獄以上に恐ろしい精神病院のインチキ治療の内膜を暴露した内容、すなわち、現代文化の裏面に横たわる戦慄すべき『狂人の暗黒時代』を俗謡化した一種の建白書、もしくは宣言書としている。
キチガイ地獄外道祭文
一名、狂人の暗黒時代―― 墺国理学博士 独国哲学博士 面黒楼万児 作歌 仏国文学博士
▼ああア――アア――あああ。右や左の御方様へ。旦那御新造、紳士や淑女、お年寄がた、お若いお方。お立ち会い衆の皆さん諸君。トントその後は御無沙汰ばっかり。なぞと云うたらビックリなさる。なさる筈だよ三千世界が。出来ぬ前から御無沙汰続きじゃ。きょうが初めてこの道傍に。まかり出でたるキチガイ坊主……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ…… ……サアサ寄った寄った。寄ってみてくんなれ。聞いてもくんなれ。話の種だよ。お金は要らない。ホンマの無代償だよ。こちらへ寄ったり。押してはいけない。チャカポコチャカポコ…… ……サッサ来た来た。来て見てビックリ……スチャラカ、チャカポコ。チャチャラカ、チャカポコ……
▼ア――あ――。まかり出でたるキチガイ坊主じゃ。背丈が五尺と一寸そこらで。年の頃なら三十五六の。それが頭がクルクル坊主じゃ。眼玉落ち込み歯は総入歯で。瘦せた肋骨が洗濯板なる。着ている布子が畑の案山子よ。足に引きずる草履と見たれば。泥で固めたカチカチ山だよ。まるで狸の泥舟まがいじゃ。乞食まがいのケッタイ坊主が。流れ渡って来た国々の。風に晒され天日に焼かれて。きょうもおんなじ青天井だよ。道のほとりに鞄を拡げて。スカラカ、チャカポコ外聞晒す。曰く因縁、故事、来歴をば。たたく木魚に尋ねてみたら……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……
▼ア――あ。曰く因縁、木魚に聞いたら。親子兄弟、親類眷族、嬶も妾ももちろん持たない。タッタ一人のスカラカチャンだよ。氏も素性もスカラカ、チャカポコ。鞄一つが身上一つじゃ。親は木の股キラクな風の。吹くに任かせた暢気な身の上。流れ渡った世界の旅行じゃ。北京、ハルピン、ペテルスブルグじゃ。赤いモスコー、四角い伯林、酔うがミュンヘン、歌うが維納、躍る巴里や居眠る倫敦、海を渡れば自由の亜米利加。女の市場がアノ紐育じゃ。桑港の賭博よ。市俄古の酒よと。千鳥足まで米利堅気取りの。阿呆つくした十年がかりじゃ。見たり聞いたりして来た中でも。タッタ一つの土産というのが。ナント恐ろし地獄の話じゃ……スカラカ、ポクポク。チャチャラカ、ポクポク……(続く)
この他にも、『脳髄論』『胎児の夢』といった話がドグラ・マグラで紹介されて行くが、これらも同じく奇怪かつ難読な描かれ方をしている。その為、「これが小説なの…?」と思わず感じてしまう部分が若干ある。しかし、多様な解釈の余地を多分に与え、創造性と想像力をフルに発揮しなければ読めないという意味でなら、まさにドグラ・マグラはうってつけの作品であると言えるだろう。
常識に捉われない混沌とした小説を読みたい方は、是非一読してみてはどうだろうか。