LIFE ACADEMIC

ESSAY

「ジャンプ展」と「日本人のマンガ脳」

現在、六本木の森ビルでジャンプ展が開催されている。ワンピース・ナルト・HUNTER×HUNTERなど、少年ジャンプを彩る漫画作品の原画が数多く展示されている。

森美術館
正面:すごいよマサルさん

マンガ好きである私は勿論、このジャンプ展に足を運んで鑑賞に浸るわけだが、何も面白い漫画はジャンプ漫画だけに限った話ではないだろう。『ブラックジャック』『20世紀少年』『寄生獣』等々、枚挙にいとまがない。

    そんなわけで、昔から「なんで日本にはこんなに面白い漫画がたくさんあるんだろう(まあクールジャパンの代名詞として使われてるぐらいだからそういいきってもいいんじゃない)」と疑問に思っていたのだけど、これについて思想家の内田樹さんが著書『街場のマンガ論』の中でこんなことを書いていた。

    なぜ日本人は識字率が世界でもっとも高いのか。それは、日本人が文字を読むとき脳内の2か所を同時に使っているからである。漢字は表意文字であるので、図像として認識される。ひらがな・カタカナは表音文字であるので、音声として認識される。図像を認識する脳内部位と、音声を認識する脳内部位は「別の場所」である。文字を読むときに単一の部位を使うのと、二つの部位を使って並列処理するのでは、作業効率が違う(たぶん)。
    現在、欧米の若者たちの間にも、マンガ・リーダーたちが生まれている。日本のマンガを彼らも日本と同じように右綴じで、右から左へ読む。欧米の書物とは製本の仕方が逆である。ということは、マンガを読むためには、欧米人はリテラシーを身体的なレベルで変更することを受け入れねばならないということである。そこまで「身銭を切らない」とマンガをマンガとして読むことができない。
    マンガでは図像と音声が同じコマ内に存在する。図像は「漢字」であり、「ふきだし」は「かな」である。私たち日本人はふだん日本語のテキストを読むときに、漢字とかなの「交ぜ書き」を一気読みしている。けれども、これは一続きの情報入力を、そのつど画像処理と音声処理に切り替えつつ読んでいるということである
    二種類の記号入力を即時的に並列処理する能力がないとマンガを「すらすら」読むという芸当はできない。むろんマンガを「すらすら」と描くこともできない。

    まとめてみると

・漢字は表意文字で図像として認識され、ひらがな・カタカナは表音文字として音声で認識される
・「表意文字」と「表音文字」は、お互い別の脳内部位で処理される
・図像は「漢字」であり、ふきだしは「かな」である
    なるほど…確かにこれが本当だとしたら、マンガ文化の土壌が日本で特異に発達した理由に納得がいきそうだ。話の中で、著者はあくまでこれは仮説といってますけど、何ともわくわくするお話じゃないですか!
そうすると、「日本語を話してる自分ってそれだけですごいかも!」と思ってしまうのだ。

参考図書

内田樹(2010) 『街場のマンガ論』 小学館