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はたらく細胞

人間1人あたりの細胞の数、およそ60兆個! そこには細胞の数だけ仕事(ドラマ)がある! ウイルスや細菌が体内に侵入した時、アレルギー反応が起こった時、ケガをした時などなど、白血球と赤血球を中心とした体内細胞の人知れぬ活躍を描いた「細胞擬人化漫画」の話題作、ついに登場!!

はたらく細胞

「教えてやる!東大は簡単だ!!」常識破り、処世術。弁護士・桜木による落ちこぼれ高校の再建計画、その内容は東大合格者100人!! 日本のルールは東大を出たやつが作っている。だから……東大に入れ!! もっとも効率的な学習法を教えよう!!

ドラゴン桜

ドラゴン桜2

人生における「成功」とは何か?好奇心に満ち、どんな困難にも負けず、なによりも「幸せ」をつかむために、子供たちはどんな力を身につければいいのだろう?神経科学、経済学、心理学…最新科学から導き出された一つの「答え」とは―?アメリカ最新教育理論。(著者:ポール・タフ, 訳:高山真由美)

 
 本書は、人生における”幸せ”を掴む為、幼少期の子供教育に焦点を当てた話を展開している。話の中では、読み書きや学力のようなIQで測れる認知能力に対し、やり抜く力・好奇心・自制心のような数字で測る事のできない非認知能力にスポットを当てられているが、そこで紹介されている数々の事例がとても興味深い。

 例えば、ストレスに満ちた環境で育った子供の多くが、集中することやじっと座っていること、失望から立ち直ること、指示に従うことなどに困難を覚える。これは、脳のなかで幼少期のストレスから最も強く影響を受けるのが前頭前皮質だからであり、前頭前皮質は、自分をコントロールする活動、感情面や認知面におけるあらゆる自己調節機能において重大な役割を果たしているからである。

 また、「ステレオタイプの脅威」という現象をつきとめた実験では、知的な、あるいは身体的な能力を試すテストのまえに帰属する集団に関係することがらをほのめかされると、テストの結果に大きく影響するという。プリンストン大学の白人の学生がミニゴルフの十ホールのコースを回るまえに生まれつきの運動能力(彼ら自身、自分にあまりないと思っている能力)を試すテストであるといわれたケースでは、戦略的思考能力(持っていることに自信のある能力)のテストであるといわれた白人学生のグループよりもスコアが四打数悪かった。黒人の学生については効果は正反対で、戦略的思考のテストであるといわれたグループのほうがスコアは四打数悪かった。これは、「白人は運動能力が低い」「黒人は知的でない」といったステレオタイプを自分も踏襲してしまうのではないかと不安に思っていると、より悪い結果が出てしまうというものである。

 こうした非認知能力にまつわる実験データが本書では数々紹介されているが、個人的に一番心に残ったのはこの箇所であった。それは、非認知能力が高いが低かろうと、結局は挑戦する事なしに成長する事はできないからだと思うからだろう。

「若者の気質を育てる最良の方法は、深刻に、ほんとうに失敗する可能性のある物事をやらせてみることなのだ。ビジネスの分野であれ、スポーツや芸術の分野であれ、リスクの高い場所で努力をすれば、リスクの低い場所にいるよりも大きな挫折を経験する可能性が高くなる。しかし独創的な本物の成功を達成する可能性もまた高くなる。やり抜く力や自制心は、失敗をとおして手に入れるしかない 」 by ランドルフ


アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。(著書:アルベール・カミュ, 訳:宮崎嶺雄)

 
 「新型コロナウイルス」の世界的流行が始まってから、アルベール・カミュの著書『ペスト』に注目が集まっている。この物語は、アルジェリアのオランという町で未知のウイルス「ペスト」が発生し、その時の様相を書き留めた物語である。

 オラン在住の医師・リウーは、ある日ネズミの死骸を発見する。その出来事を契機に、未知の病・ペストがオランの町全体を襲い始め、ついに町は都市封鎖を余儀なくされる。そんな中、リウーはこの社会的な危機から脱する為、一市民として為すべき事を模索していく。物語では、リウーに限らず、役人・グランや町のよそ者・タルーといった者たちの献身的な姿も映し出されるが、彼らは決してヒロイズムを気取る素振りは見せない。義務としてではなく、自身の信念に従い淡々とその任務を遂行していく姿は、まさに有事の際におけるあるべき姿と言っていいだろう。

また、物語の中では神父(パヌール)や犯罪者(コタール)といった人物も登場するが、ペストという不条理の直面に対し、神と人間との親和性に疑いの目を向け、警察の手から逃れまわっている者の心情を、ペストに怯える市民の心境に喩えていたりと、人間観への深い考察も多分に含まれる。

 新型コロナウィルスによる感染が広がる今こそ読んでおきたい一冊であった。

四色あればどんな地図でも塗り分けられるか?一見簡単そうだが、どうにも証明できない難問として人々の頭を悩ませ続けた「四色問題」。ルイス・キャロルをはじめ幾多の人物が挑戦しながら失敗。一世紀半後、ふたりの数学者がコンピュータを駆使して解決するが、「これは数学じゃない」と拒絶反応も。天才たちの苦闘の歴史を通じ、世紀の難問が解かれるまでを描く興奮の数学ドラマ。(著者:ロビン・ウィルソン 訳:茂木健一郎)

 
 四色問題とは、1850年初めに提唱された問題であるが、その問いは以下のようなものである。

四色あれば、どんな地図でも隣り合う国々が違う色になるように塗り分けることができるか

 この問題を理解するだけであれば、おそらく誰にでもわかる問いであろう。しかし、1976年にヴォルフガング・ハーケンとケネス・アップルが証明するおよそ100年もの間、数多の数学者がこの命題に挑んだが解決できなかったのある。最終的に四色問題は解決されはしたものの、その方法はコンピューターに1000時間以上も計算をさせるというものであった。その為、数学者の間では、人間の手で結果を直接確認できない場合に、問題が解決されたと考えてよいか、という論争が今なお続いているそうである。数学界に論争を巻き起こしたこの難問に興味を惹かれた方は、是非一読してみてはどうだろうか。

敗戦後、元華族の母と離婚した“私”は財産を失い、伊豆の別荘へ行った。最後の貴婦人である母と、復員してきた麻薬中毒の弟・直治、無頼の作家上原、そして新しい恋に生きようとする29歳の私は、没落の途を、滅びるものなら、華麗に滅びたいと進んでいく。(著者:太宰治)

「斜陽」は、没落していく貴族の生活を描いた作品だが、その様相は暗さの中に耽美的な美しさを感じさせるストーリーである。その象徴的な場面が、主人公・かず子を通して描かれるお母様の姿だろう。まず、作品の冒頭では、お母様がスウプを飲む姿を描いているが、その姿が何とも上品で美しく、それ以降も、放蕩息子・直治を思いやる姿、娘・かず子を慈しむ描写は印象的である。また、物語が終盤に差し掛かっていくと、今度は、「人間は、恋と革命のために生まれてきたのだ」とかず子が心中で喚起したフレーズをテーマに物語が進んでいく。そこには恋に焦がれた一人の人間としての生き方と、自身の意思を貫き通すかず子の強さが感じられる。本作は、母と娘の慈しみある物語でありながらも、そこには太陽が傾き始める「斜陽」の如く時代の移ろいと悲しみを滲ませたストーリであった。

半飼いの少年サンチャゴは、その夜もまた同じ夢を見た。一週間前にも見た、ピラミッドに宝物が隠されているという夢。少年は夢を信じ、飼っていた羊たちを売り、ひとりエジプトに向かって旅にでる。アンダルシアの平原を出て、砂漠を越え、不思議な老人や錬金術師の導きと、さまざまな出会いと別れをとおし、少年は人生の知恵を学んでいく。(著者:パウロ・コエーリョ)


 全世界で81カ国語に翻訳され、8500万部の売り上げを誇っているアルケミスト。その内容は、宝物の夢を見た少年が、その夢を追いかけ旅に出るという物語だ。話の中では「前兆」「心の声」「大いなる魂」といったスピリチュアルめいた言葉が数多く登場するが、それは、夢を追う勇気を持った者だけに現れる兆しである。こうしたストーリーに対し「前兆や運命など、ただの偶然に過ぎない」と考える方もいるかもしれない。しかし、人生を理路整然と割り切るより、そうした神秘的な要素を自身のエネルギーに変え、それを励みに夢を追究し続ける人生の方が遥に実りがあると思う。そして、そんな夢追う者の人生はいずれ運命となってやがて宇宙が味方してくれるのである。本書は、単なる自己啓発本といった部類の本でなく、勇気を持って行動する事の大切さも教えてくれた本でもあった。

アルケミストにあった好きなフレーズ
少年は、直感とは、魂が急に宇宙の生命の流れに侵入することだと理解し始めた。そこでは、すべての人の歴史がつながっていて、すべてのことがわかってしまう。そこにすべてが書かれているからだ。

ソクラテス、プラトン、ベンサム、キルケゴール、ニーチェ、ロールズ、フーコーetc。人類誕生から続く「正義」を巡る論争の決着とは?私立高校の生徒会を舞台に、異なる「正義」を持つ3人の女子高生のかけ合いから、「正義」の正体があぶり出される。(著者:飲茶)

 
 本書は、生徒会長である今中正義を中心に、功利主義者である最上千幸、自由主義者であるリバティ・ミユウ・フリーダム、直観主義者の徳川倫理、そして倫理の授業を行う風祭先生を巻き込んで「正義とは何か?」について考えていく。哲学自体をテーマにした小説は珍しいが、話の中でも登場人物の過去に触れた様々な伏線が散りばめられているので、読んでいる者を飽きさせない構成となっている。むしろ、哲学書というより一つの小説といってもいいぐらいである。

 小説というジャンルを通して哲学に触れてみたいと思う方に薦めたい本である。
※ 個人的に最後のオチは、とてもよかったと思いました。

最高の真理を求める男たちの闘い第二ラウンド!古代インド哲学から釈迦、孔子、孟子、老子、荘子、そして日本の禅まで東洋の“知”がここに集結。真理(結論)は体験によってのみ得られる!(著者:飲茶)

 
 哲学といえば、生きるとは何か、死とは何か、存在とは何か、といった抽象的な問いを考察していく学問だが、哲学者の考えを知るとなると、超人思想・脱構築・構造主義といった専門用語が立ち並び、理解するのが難しい。だが、本書では「史上最強の哲学入門」とタイトルにあるように、各哲学者の思想や造語を大変分かりやすく紹介している。そして本作は、東洋哲学の偉人に焦点を当てた構成となっているが、そもそも東洋哲学はどのような系統を孕んだ哲学となのだろうか。

 著書によると、まず、西洋哲学は、論理や知識というものを有効だと信じており、高度な論理を組み上げることを目指して巨大な理屈の体系として発展していった。それに対して東洋哲学は、論理や知識というものをそれほど有効だとは信じていない。なぜなら、東洋にとって「真理」とは「あ、そうか、わかったぞ!」という体験として得られるものであり、それは決して言葉で表せられるものではないからだ。その為、「思考を磨きつづければいつか真理に到達できる。言語の構造物で真理を表現できる」といった幻想を東洋哲学は最初から持っておらず、「どうすれば釈迦と同じ『悟りの体験』を起こすことができるのか」、その一点だけに絞り、そこに特化して体系を洗練してきた。

 「論より実を取る」 、それが東洋哲学の本質であり、基本的な態度となっている。効果があるものは、たとえ理屈が間違っていようと作り話であろうと東洋哲学においては「真」であり、逆に効果がないものは、たとえ理屈が正しかろうと事実であろうと東洋哲学においては「偽」なのである。それ故、東洋哲学はあらゆる「理屈」に先立ち、「結果」を優先する哲学となっている。

 以上がざっと本書で紹介されている東洋哲学の体系であるが、著書ではさらにそこから、どのような経緯で東洋哲学が誕生し広がっていったか、東洋哲学の土台を形成した人物、只管打坐や公案の極意といった、あらゆる知識を提供している。東洋哲学に興味のある方に、是非一読を薦めたいと思う本である。


真理に殉じた最強の論客ソクラテス、近代哲学の偉大なる父デカルト、神を殺した狂気の超人ニーチェ…強者の論を踏み台に、さらなる強者が出現する。そう、哲学の歴史はまさに闘い!!偉大なる哲学者たちが繰り広げてきた、頭脳と頭脳の闘いの歴史を、驚異的な噛み砕き方でわかりやすく紹介。最強の哲学入門書、降臨!!(著者:飲茶)

 
 哲学といえば、生きるとは何か、死とは何か、存在とは何か、といった抽象的な問いを考察していく学問だが、哲学者の考えを知るとなると、超人思想・脱構築・構造主義といった専門用語が立ち並び、理解するのが難しい。だが、本書では「史上最強の哲学入門」とタイトルにあるように、各哲学者(西洋)の思想や造語を大変分かりやすく紹介しているので、挫折する事はないだろう。

 ここでは、本書の中で印象に残った哲学者を二人紹介してみたい。

 一人目は、デモクリトスである。デモクリトスは、原子(アトム)論を唱えた人物だが、彼がその論を完成させたのは、何と紀元前400年頃である。当時、哲学者のパルメニデスは「リンゴをどんなに分割し続けても、リンゴの破片はどんどん小さくなるだけで、決してなくならない」と考えていたが、デモクリトスはその思考をさらに推し進め、「延々と分割し続けていけば、最後にはそれ以上絶対に分割できない粒、『究極の存在』に辿り着くはずだ」と考えた。そして、デモクリトスはその「究極の存在(絶対に分割できない粒)」に「原子」という名前を与え、その原子が「空虚(空間)」を飛び回り、他の原子と「結合」したり「分離」したりすることで世界ができ上がっているのだという、今までにない画期的な存在理論、原子論をつくり上げたのである。

 もう一人は、トマス・アクィナスという哲学と宗教を統合させた神学者である。当時、アリストテレスの哲学的な体系がキリスト教に流れ込み、神学の価値体系が脅かされていた。それを表す一つとして、アリストテレス研究の第一人者であるアヴェロスが取り組んだとされる「全能のパラドックス」と呼ばれる命題がある。これは、”全能の神は、自ら全能であることをやめて、全能ではない存在になることができるか?”という命題で、神が自分自身を全能でなくすることができないならば、神は全能ではなくなり、もし全能でないのなら、その時点で全能ではない存在となってしまう」というパラドックスである。要するに、全能とはそもそもありえないという話である。こうした論理的な主張をもとに、神学の真理が哲学の真理に崩されかけていたが、そこで一矢報いたのが、トマス・アクィナスである。彼は、哲学の論理的な手続きを逆手に取り、こう考えた。

「では、一番最初の原因とは一体何だろうか?」


 現代なら、ビッグバンと答えるかもしれないが「では、ビッグバンの原因は何か?」と最初の原因を繰り返し突き詰めて行くと、無限に原因の問いかけが続く事となる。つまるところ、「原因と結果という関係を超越した何か」を想定しないことには、この問題は決して解くことができない。よって、理性的に考えていくことで理性を超えた存在──神の存在が導かれてしまうのである。このようにトマス・アクィナスは、理性では計り知れない階層(レベル)の問題については、もはや信仰でしか辿り着くことができない、つまり、神学と哲学の真理は対立するのではなく「レベルが違う」という考え方をしたのである。

 本書では、その他にも、ニーチェ・サルトル・レヴィ=ストロース・ソシュールといった有名な哲学者が、計31名紹介されている。西洋の哲学者の思想に触れてみたい方にオススメです。