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理性の限界

我々が信じる合理的選択、科学的認識、論理的思考は、絶対的なものではない!世界の根源に関わる事象と密接に関連する人間の「理性の限界」と可能性をディベート形式で平易に描く論理学入門書。(著者:高橋 昌一郎)

   
  本書は、タイトル『理性の限界』と書かれているように、人間の理性では越えられないテーマの限界について綴られている。そのテーマは、選択・科学・知識といった、我々が理性的に解釈可能だと思われる学問領域を対象にしているが、著書では、司会者・会社員・数理経済学者・哲学史家・運動選手・生理学者など、計36人にも及ぶ登場人物が、身近な疑問を掘り下げ、理性における限界が存在するか否かを討議している。

    ここでは一つ、「知識の限界」で取り上げられている「抜き打ちテストのパラドクス」を紹介してみたいと思う。

大学生A
 私たちは、大学で集中講義の掲示板を見ていたんですが、そこには、次のような講義要項が貼り出されていました。

集中講義ー倫理学 スマリヤン教授 月曜日ー金曜日
講義要綱1ーいずれかの日にテストを行う
講義要綱2どの日にテストを行うかは、当日にならなければわからない


それで私が「来週の倫理学の集中講義には、ぬきうちテストがあるから、毎日勉強しなければならないね」と言うと、B子が、「そんな必要はないわよ。だって、ぬきうちテストなんて、できるはずがないんだから・・・」と言ったんです。

司会者
 それはなぜですか?

大学生A
 B子は、次のように言いました。もし木曜日の講義が終わった時点でテストが行われていなければ、「いずれかの日にテストを行う」と言う講義要項1により、金曜日にテストが行われる事がわかります。ところが、これでは「どの日にテストを行うかは、当日にならなければわからない」という講義要項2に違反しますから、金曜日にはテストができないはずです。ですから、テストの可能性は、月曜日から木曜日の間に限定されます。

司会者
 なるほど、金曜日には、ぬきうちテストはできないわけですね

大学生A
 ところが、B子は、木曜日にもテストはないはずだと言うのです。なぜなら、もし水曜日の講義が終わった時点でテストが行われていなければ、金曜日が不可能である以上、講義要項1により、木曜日に行われることがわかります。ところが、これも講義要項2に違反しますから、木曜日にもテストができないはずです。

 司会者
 すると、テストの可能性は、月曜日から水曜日の間に限定されますね・・・。

大学生A  
 ところが、B子は、同じ理由から、水曜日にもテストができないはずだと言うのです。というのは、火曜日の講義が終わった時点でテストが行われていなければ、水曜日に行われることがわかりますから、そのように考えていくと、火曜日にも月曜日にもテストはできないはずです。それで、B子は、ぬきうちテストなど行えるはずがないと言ったのです・・・。

司会者
 非常に面白い考え方ですね。それで、実際にはどうなったのですか?

大学生A
 集中講義が始まりました。しかも、B子の予想したとおり、木曜日の講義が終わった時点でも、テストは行われていませんでした。 そして、金曜日になりました。ところが、クラスに入ってきたスマリヤン教授は、「それでは、今からテストを行う」と言ったのです!
    ぬきうちテストはないと信じて、何も勉強していなかったB子は、慌てて抗議しました。「テストは不可能なはずです。なぜなら、昨日までテストがなかったから、テストは今日行われるに違いないとわかってしまいます。これは、先生の講義要項2に矛盾します!」。
    すると、スマリヤン教授は、すごく嬉しそうに笑って言いました。「しかしね、君は、テストが今日行われないと思っていたんだろう?それならば、抜き打ちテストは成立しているじゃないか!」
    それで私はわからなくなったんです。B子の考え方は、どこか間違っているのでしょうか?あるいは、スマリヤン教授の講義要項は、なにかおかしいのでしょうか?(続く)

    
 話はこの後、各登場人物が、それぞれの専門的知見を生かして、オコンナーの語用論的パラドックス・ゲーデルの不完全性定理・認知論理システムといった論を用いて、ぬきうちテストのパラドクスが生じる原因を明快に解説していくが、こうした一見難しそうな定義も、本文では会話形式(しかもユーモアがある)をとっている為、非常に分かりやすい。  「理性の限界」というテーマに少しでも興味が惹かれた方は、ぜひ読んでみてはどうだろうか?