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日本辺境論
日本人とは辺境人である―「日本人とは何ものか」という大きな問いに、著者は正面から答える。常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。日露戦争から太平洋戦争までは、辺境人が自らの特性を忘れた特異な時期だった。丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱いつつ日本を論じる。読み出したら止らない、日本論の金字塔、ここに誕生。(著者:内田樹)
本書は日本の地政学的観点から、日本という辺境国を多方面から分析しているが、何故日本人は特異な辺境民へと成長していったかについて記されており、その特異性は、武士道の精神・宗教観念・戦争責任・マンガ文化など多岐に及ぶ。
例えば著書の中で、なぜ日本人の政治演説は感動しないのかという理由について触れられているが、それは政治指導者の人間的資質の問題というよりも、むしろこの日本という国の構造的問題だと指摘している。
以下、2009年1月20日にバラク・オバマ大統領が200万人の聴衆を前にして行った就任演説の一部であるが、少し振り返って読んでみたい。
「私たちのために、彼らはわずかばかりの身の回りのものを鞄につめて大洋を渡り、新しい生活を求めてきました。私たちのために、彼らは過酷な労働に耐え、西部を拓き、鞭打ちに耐え、硬い大地を耕してきました。私たちのために、彼らはコンコードやゲティスバーグやノルマンディーやケサンのような場所で戦い、死んでゆきました。繰り返しこれらの男女は戦い、犠牲を捧げ、そして手の皮が擦りけるまで働いてきました。それは私たちがよりよき生活を送ることができるように彼らが願ったからです。(……)
彼らはアメリカを私たちひとりひとりの個人的野心の総和以上のものと考えていました。どのような出自の差、富の差、党派の差をも超えたものだと見なしていました。彼らのたどった旅程を私たちもまた歩み続けています。私たちは今もまだ地上でもっとも栄え、もっとも力強い国民です。(……)今日から私たちはまた立ち上がり、埃を払い落とし、アメリカを再造する仕事に取りかからなければなりません。」
なんとも心に響く感動的な演説であるが、その理由について著者は、「私たちアメリカ人」は人種や宗教や文化の差を超えて、先代からの「贈り物」を受け取り、それを後代に伝える「責務」をも同時に継承しているという「国民としての物語」の共有性について触れており、この国民としての物語の継承という観点から、アメリカ人の国民性格はその建国の時に「初期設定」され、仮にアメリカという国がうまく機能しなくなったら、「私たちはそもそも何のためにこの国を作ったのか」という起源の問いに立ち戻ればよい、と説明している。
そして、では、翻って日本はどうか、と言われると、私たちの国は理念に基づいて作られた国ではなく、立ち帰るべき初期設定がない。私たちは歴史を貫いて先行世代から受け継ぎ、後続世代に手渡すものが何かということについてほどんど何も語ることができず、その代わりに何を語るかというと、他国との比較を語るのである、として、次章では他国との比較でしか自国を語れない理由について綴っている。
本書の中で、あまり日本について褒めたことは書かれてないが、その明快な切り口は、自身で考えようとしてもなかなか思いつかないような指摘ばかりである。日本という国、日本人という国民性について、詳しく知りたい方にお薦めしたい図書です。