ESSAY
おやとことおじさんのこうかんにっき
去年の10月から交換日記を始めた。
しかしその相手は知人でもオンライン上で知り合った方でもない。
友人の子供だ。
そのきっかけは、自身がフリーランスとして働いていた頃、仕事をしながら友人のお子さん(年中さんと小学2年生)の面倒を見る機会があった事だ。その折、自身がプログラマーという事もあり、ローマ字入力の方法を子供たちに教えてみた。しかし、ただ教えてもその学んだ知識を活用しなければ意味がない。そこで友人から「せっかく教えてもらった知識を使わないのはもったいないから、僕と子供と一緒にオンラインで交換日記を始めてみないか」と頼まれた。そんな経緯もあり、お子さんのご家族に混じって交換日記を始める事となった。その甲斐あってか、お子さんのローマ字の習得が思いのほか早く、半年で互いの日記の投稿数が200を超えるまでにもなった。そしてさらに、日を追う事にその文章量は増し、今では読書感想文を書いたり、日記を書くために漢字を自己学習するまでにもなっている。
そんな事情もあるせいか、子供の親御さんから「毎日息子が楽しそうに日記を書いている。きっかけをくれてありがとう」と言われるまでにもなった(恐縮です…)。そして私自身、この交換日記の体験を通じて、子供の”自発的な学習能力”について興味が湧き調べて見た。すると、どうやら近年の教育分野の世界では「非認知能力」という力が注目されているらしい。
「非認知能力」とは、簡単に言ってしまえばやり抜く力・好奇心・自制心といった数字で測る事のできない力や資質を指す。 それに対し「認知能力」とは、読み書きや学力といった数値(IQ)で測れる力や資質のことを指す。そして近年、長年にわたる子供の追跡研究調査の結果から、非認知能力が認知能力と同等、もしくはそれ以上に子供が将来社会で生きていく力として強い影響力を与えている事が明らかとなっている。
その代表的な事例としてあげられるのは、「ペリー就学前プロジェクト」だろう。これは、ノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・J・ヘックマン教授が行った就学前教育の社会実験である。この実験では、経済的に恵まれない3歳から4歳のアフリカ系アメリカ人の子供たちを対象に、毎日平日の午前中は学校で教育を施し、週に一度午後に先生が家庭訪問をして指導にあたるというものだ。この就学前教育は2年間ほど続けられ、この実験の被験者となった子供たちと、被験者とならなかった同じような経済的境遇にある子供たちとの間で、その後の経済状況や生活の質にどのような違いが生じるかを約40年間にわたって追跡調査が行われた。その結果、10歳の時点では、就学前教育を受けたグループと受けなかったグループの間には、IQの差は観察されなかった。しかし、40歳になった時点で比較した所、就学前の教育の介入を受けたグループは比較対象グループと比べて、高校卒業率や持ち家率、平均所得が高く、また婚外子を持つ比率や生活保護受給率、逮捕者率が低いという結果が出たのである。
また、ポール・タフ著の『私たちは子供に何ができるか』では、子供の非認知能力を育む上で働きかけるべき大切な場所は、子供自身ではなく、環境であると紹介している。例えば、幼い時期に経験した高レベルのストレスは、前頭前皮質、つまり知的機能をつかさどる最も繊細で複雑な脳の部位の発達を阻害し、感情面や認知面での制御能力を妨げる。さらに、子供が感情面、精神面、認知面で発達するための極めて重要な環境は家であるとしている。これは、特に子供が動揺しているときに、親が激しい反応を示したり予測のつかない行動を取ったりすると、後々子供は強い感情をうまく処理することや、緊張度の高い状況に効果的に対応する事ができなくなるとされている。しかし、その反対に、子供が瞬間的なストレスに対処するのを助け、怯えたり癇癪を起こしたりした後に落ち着きを取り戻すのを手伝い事のできる親は、その後の子供のストレス対処能力に大いにプラスの影響を与える事が明らかとなっている。
こうした研究結果を踏まえると、今行っているオンライン交換日記も、私のアウトプットに対するお返しが、お子さんたちのさらなる学習意欲を促し、彼らの非認知能力を養うのに一役買っているのかもしれない。その一方、子育ては一つ違えば子供の考えやその後の人生を大きく左右してしまうため、その責任の大きさを感じて怖くもなってしまう。しかしいずれにしろ、子は私たち大人の姿、特に親の後ろ姿を見て育っていくのは事実であり、幼少期はその背中からあらゆるものを自分なりに受け取り学びとれる子供自身に与えられた好機 (チャンス) である。そう考えると、子供にはより多くの新しい世界に触れられる機会を与えてあげ、その体験から好奇心という芽を育ませ、その芽を摘み取らず水を注いでいく事こそが私たち大人ができる最良のプレゼントではないかと思っている。今行っている交換日記も、お子さんたちがこの経験を通して何か自分に還元できるものを見つけ出し、少しでも心豊かな人生を歩んでてもらえれば、私としてこれほど嬉しい事はない。そう思いながら、今日もどんな日記を書こうかと思案するのである。
参考文献
ジェームズ・J・ヘックマン(2015) 『幼児教育の経済学』 古草 秀子 訳 東洋経済新報社
ポール・タフ(2017) 『私たちは子どもに何ができるのか』 高山 真由美 訳 英治出版
あとがき
今回、幼少期の教育に焦点を当ててエッセイを書いてみましたが、教育経済学の観点から見た子育て理論も大変面白いものがありました。その一つとして、「ご褒美理論」という方法がありますが、これは、子供を勉強させる為にお金やものといったインセンティブを与え、子供に勉強を促すやり方だそうです。アメリカのある実験で、このご褒美の因果関係を明らかにした実験が行われましたが、その内容は、”学力のインプットとアウトプット、どちらが子供に対してより効果的であったか”という実験でした。
実験では、”テストでよい点を取った時のご褒美(アウトプット)”と”本を読んだ時のご褒美(インプット)”の組に分かれて検証が行われましたが、その結果、学力テストの点数が向上したのは、”本を読んだ組(インプット)”だったそうだ。その理由は、人には目先の利益や満足を優先してしまう傾向がある為、テストでよい点を取るご褒美は、インプットと比べると少し遠い未来の話となってしまうからだそうだです。また、テストでよい点を取るご褒美は、どうすれば点数が上がるかといった勉強の道筋が示されていない為、学力の向上まで結びつきにくかったそうです。それに比べインプットは、本を読み、宿題さえ終えればよいわけなので、子供たちにとっても何をすればよいか明確です。その為、本を読んだ時のご褒美はテストでよい点を取った時のご褒美よりも効果的だったそうです。
参考文献
中室牧子(2015) 『「学力」の経済学』 ディスカヴァー・トゥエンティワン