LIFE ACADEMIC

ESSAY

「論語」の話

 

論語の話

 『論語』は中国より日本にもたらされた最も古い書物であると言われ、それは『古事記』の時代にまでさかのぼることができる。儒学は足利時代、宋の朱熹による古典学改革を経て、江戸時代徳川家康によって国教的な地位を与えられた。「論語」が幕府によって武家社会を支える正式な学問として公認された理由は大きく分けて3つあると考えた。

 1つは、戦国の乱世が平定され階級社会が確立によるものである。ようやく手にした平安の世において、人間社会の秩序を尊重する朱子学が為政者にとって都合のよい学問であったからである。

 2つ目は神秘主義に陥らず、文章が日常の具体的事柄を取り上げながら書かれていて非常に読みやすかったこと。

 3つ目は人間としてもっとも重要な愛(仁)を増大させることが為政者の役割と述べ、その強い理想主義が深く人々の心に訴える力を持っていたことがあげられる。

 孔子の目指す政治の形は「徳治主義」である。政治家は政治と教育により「仁」の支配する社会を実現する必要がある。学問を修め「仁」と「礼」を体得した理想の人物を”君子”と呼ぶ。君子となった君主が徳をもって政治にあたり、礼によって整え治めていけば、人民は恥を知り慎んで自分をただすようになるという〈修身、斉家、治国、平天下〉。孔子は文化国家である周王朝の再現を夢を見ていた。周公は礼と楽という文化法則を定めた偉人である。周王朝は数百年前になくなってしまったが、自分こそその後継者であり、それが自らもって生まれた天命であるという強い自負心を持っていた(孔子50にして天命を知る)。孔子は思想の中心に常に「政治」を置き、理想的な社会の実現を自ら引き受けようという理想に燃えていたのである。

 孔子はまた、下剋上と殺戮の世の中に生きても人間の可能性対して強い自信と信頼を置いていた〈徳不弧、必有隣〉。人間の本性は近接したものであり、先天的な善人と悪人はいない〈性相近也、習相遠也〉。もともと人間の間に区別はなく教育によって分かれるのだ〈有教無類〉。教育の力を信じ、若者に希望を託したその姿は〈後世可畏〉、街に出て魂をいたわることの大切さを説き続けたソクラテスに、評判芳しくない国王の誘いに心を揺り動かされ、王の後見として政治の力を信じ、仁に満ちた理想国家を実現しようとした点は、プラトンの姿を彷彿させる。

 さらに孔子は、立派な人間になるためにはたゆまぬ努力が必要であると説く〈人能弘道、非道弘人〉。人は己の努力によって完成されるのである。しかし、どんな努力を積み重ねても社会に認められる確証はない。それでも決してあきらめないこと。「仲弓」を例にとり、努力は必ず人から認められると希望を語る。そして孔子は、人間の可能性を説きながらも、その限界をも自覚していた。人間の力ではどうすることもできない運命的な事柄を「命」と呼び、50にして「天」から与えられた「使命」を自覚した孔子は強い政治改革の志を示した。私たちの運命は天の意志に決められているかもしれない。だが、そうした天によって制約をかけられた世界でも、人は生き抜き、人間の可能性を説く孔子の姿にはまさに感動を覚える。また、孔子は行為について「中庸」を知って分を守ることを主張する。人間に課された限界を知ったうえで人間の希望に向かって進むべきことを穏やかに説いている。人間は愛情の動物であり、その拡充が人間の使命であるとするなら、過去の人間の経験を学んで、社会の法則を知らなければならない。孔子が「学問」を最も尊んだゆえんであろう。

 以上、吉川幸次郎氏の『「論語」の話』を参考にその魅力を語ってみたが、孔子の思想の根源に論理を超えた純粋な人間的感情の発露を知り驚きを覚えた。論語に興味のある方は、是非一度手にとっていただきたいと思う。